弥彦とみのやの歴史

みのやの創業は江戸時代の元禄年間1701年。私で十七代目となります。
先祖は尾張国の出身で、濃尾平野の美濃地方にちなんで「みのや」という屋号をつけたと聞いています。ご縁あっておやひこさまの門前に宿を構えて300余年、越後の豊かな食と自然そして神の湯で、旅する方々をお迎えしてまいりました。

四季の宿 みのや
十七代目館主 白崎純也

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みのやの創業は江戸時代の元禄年間1701年。私で十七代目となります。
先祖は尾張国の出身で、濃尾平野の美濃地方にちなんで「みのや」という屋号をつけたと聞いています。ご縁あっておやひこさまの門前に宿を構えて300余年、越後の豊かな食と自然そして神の湯で、旅する方々をお迎えしてまいりました。

四季の宿 みのや

十七代目館主 白崎純也

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昭和初期のみのや。弥彦山が今よりも近くに見えます。

私たちが日々感謝と祈りを捧げる弥彦神社。
その御祭神である天香山命(あめのかごやまのみこと)は、神武天皇より高志の国(越の国)の国造りの命を受け、紀伊半島から美濃国を通り北陸へ向かい、そこから船に乗り現在の長岡市寺泊へ上陸をされました。その後、この弥彦の地に居をかまえ、越の国の開拓に力を注がれました。これが弥彦村と食の宝庫・新潟の始まりです。みのやの先祖は天香山命が歩まれた道を辿るようにして、この新潟に来たのかもしれません。

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おやひこさまの拝殿。雨の日は一層幻想的な雰囲気に包まれます。

弥彦村の歴史を紐解くと、村内には縄文時代の遺跡や古墳が多くあるので、古くから人が住んでいたようです。奈良時代に編まれた「万葉集」、平安時代に成立した「延喜式」などの古い文献には、霊験あらたかな弥彦神社のことが書かれており、この頃にはおやひこさまの力は広く知られるようになっていたと考えられます。平安時代後半には弥彦村一帯は弥彦荘と呼ばれる荘園となり、新田開発が進みました。

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おやひこさまの拝殿。雨の日は一層幻想的な雰囲気に包まれます。

中世に入ると、弥彦神社は越後国一宮として、上杉謙信など各地の武将の祈願文や起請文にたびたび登場するようになります。戦勝祈願や契約の際に神に誓いを立てる文書で、おやひこさまの力を借りてその約束を強固なものにしたのです。
江戸時代の弥彦は門前町として、また北国街道の宿場町として大いに栄えました。徳川将軍家や長岡藩から朱印状・黒印状が与えられ、弥彦神社の神領地として租税が免除、収益はすべて弥彦神社に納められました。おやひこさまとともにあるムラ、という意識はこの頃から芽生えたのかもしれません。
みのやの創業は徳川5代将軍綱吉の時代。生類憐みの令で有名ですよね。そして同じ頃、弥彦山の西側の間瀬から良質の銅が算出したことにより、お隣の燕市や三条市で和釘作りが始まりました。和釘の技術はやがて刀鍛冶や鎚起銅器へと受け継がれ、世界トップレベルの技と質を誇るものづくりの街へと発展していきました。

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鎚起銅器の老舗「玉川堂」の酒器。これで日本酒をいただくと一段と美味しくなります。

ところが明治45(1912)年、弥彦を大火が襲います。神社を始め門前町の多くが焼失する大惨事で、みのやの建物も古い資料もすべて燃えてしまいました。
しかし、おやひこさま譲りの開拓精神を持つ弥彦村民ですから、いち早く復興に乗り出します。大正5(1916)年には弥彦神社再建と越後鉄道弥彦線(現在のJR弥彦線)が開通し、より多くの方が参拝に来られるようになりました。

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春めく弥彦駅。社殿のような装飾が弥彦らしいです。

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平成24年に90周年を迎えた弥彦線の特別記念切符シート。

明治から戦前までのみのやは主に修学旅行のお客様、そして戦後は燕・三条地区の工業発展に伴い、宴会を主体とした割烹旅館としての営業をしていたと聞いております。
今手元に残っている資料に、昭和初期の館主・白崎彌平によって営まれていた「みのや旅館」の写真があります。

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冬のみのや。寒いのに大勢の人が広縁に出ている様子が見られます。

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昭和初期の浴室。小さな湯船に時代を感じます。

お客様の笑顔に支えられてきた300余年のみのやの歩み。その時々の館主がお客様と結んだご縁の重みをこれからも大切に守りながら、新たな歴史を刻んでいきたいと思っております。